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2013年5月8日水曜日

東南アジア海外生活、長期滞在記。体験談2 会話学習編

全ブログ記事中 第12話 (経験談)
2 会話学習 編
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2 会話学習 編

海外生活で最も必要な事は、経済力と語学力ではないでしょうか。

何事も形から入る様式美の日本人は、語学を学問と考え完璧を目指し
直ぐに挫折しますが、思い返してみれば私たちが話す日本語を学問と
捉えたのは、国文法の授業くらいからではないでしょうか。

ですので考え方を実用優先に考えれば、下記のような学習順になります。

話す→聞く→読む→書く

日本の語学授業は、

読む→書く→聞く→話す

これでは、いつまで経っても話すことは出来ません。
ここから私の現地での学習体験をご説明しますが、その前にフィリピンの
言語とあちらの学校の学習スタイルを簡単に書いて置きます。

フィリピンの公用語は、タガログ語をベースにしたフィリピン語です。
英語は、第2公用語の扱いで、公文書などは基本的に英語です。

北部のタガログ語圏と南部のビサヤ語圏の他に6種の大きな言語圏が
有りますが細かく分類すると70から100の言語圏にもなります。

日本の方言とは違い、沖縄やアイヌ語なみに違うように日本人には感じ
ますが、基本的には、フィリピン語を国語として小学校3年生くらいから
全国で習うようです。

それまでは、それぞれの地方の言葉で授業は進められ、3年生からは、
フィリピン語を国語として習い、他の授業は、英語で進められます。

ですので地元の言語と、フィリピン語と英語の3つを話せるようにもなる
ようです。

(タガログ語を普段話す生徒でもフィリピン語のテストが一番苦手だ
そうです。我々が国語のテストが得意でないのと同じように。笑)

学校の授業が英語でというのが凄いですね。ですので嫌でも英語力が
上がるのです。

そんな訳で最近は、日本や韓国などからの安価な留学先としても人気が
有るわけです。

また動画チャットを使った語学練習先として、沢山の業者が有るのも
最近の傾向です。

フィリピンの高学歴学生さんとの会話練習は、安価な賃金と無料の
ネット通話接続で成り立っています。

このようなフィリピンの語学学習環境ですが、年齢によっては、英語が
話せなかったりスペイン語が話せる世代も有るので、若い世代限定かも
知れません。

テレビやラジオのチャンネルは、フィリピン語と英語の半々くらいに
分かれていますし、ベルギー人とまでとは言いませんが、多言語を
使いこなす下地は、有るようです。

(以上は、私が滞在した頃の現地の人から聞いた話です。現在は色々と
違うかも知れません。)

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現地で最初に注意されたのは、買い物へ行くと、日本語を使うのが一番
高額になり、次が英語、そしてタガログ語の順番だそうです。

そこで先ずお金の数え方から覚えました。数字は、タガログとスペインの
混在で、小さい数字は、タガログ語。ハーフ・クウォーターなどに相当
するキリの良い数がスペイン語といったところでしょうか。

勉強を続けた私の実感としては、年齢にかかわらず言語というものは、
3ヶ月あれば日常生活で困らないくらいになるということです。

最初は、日本人の家に滞在していましたが、後に現地スタッフの兄弟の
家に居候しました。

そこから日本語を全く使わなくなったところで飛躍的に上達しました。
最初は、拙い英語でスタッフ達と会話していましたが、現地語を2週間
聞いていると段々話の大筋を掴める様になります。

以前、中国に暫く滞在しましたが、その時も2週間くらいで大体の感じが
掴める様になったので、言語というものは、そういうものかも知れません。

では、タガログ語をどれくらい習得出来たかと言えば、書くことはいまだ
出来ません。必要も無かったからです。

読むことは、少しだけ分かります。海外では、自国の言葉は話せても
書いたり読んだり出来ない方々は多いです。

アメリカですら多いのですから、日本人的には最初から完璧を目指す
必要も無いと思います。

会話が出来れば、後は国語の勉強と同じ事をすれば直ぐに覚えられるで
しょう。

タガログを聞くことは、私のボキャブラリーの範囲を知っている人が話す
分には不便は有りませんが、他人同士の早口の会話の場合は、半分くらい
しか分かりません。

しかし先日のこと、例外が有りました。知り合いが見ていたDVDの音声を
何となく聞いていたら、なんと全て分かるのでした。

それは、韓流ドラマでしたが、タガログ語をアテていた声優さんの発音が
とても綺麗で分かりやすく、全て理解出来た訳です。

丁寧に区切って発音していたのが理解の原因でした。そんな事もあるんで
すね。

逆にコメディアンの話す番組などは、殆ど聞き取れません。まあ日本でも
テロップが無いと何を言っているのか分からない芸人さんもいますので、
そんな物かも知れません。

話すことは、日常会話には困りませんが、初めて会う人には、少し伝わり
にくい事も有るようです。

私の発音は、私のボキャブラリーの範囲が分かっている人には、不便は
ありませんが、同じ人と電話で話すとやはりだいぶ落ちます。

顔や身振りが無いとやはり難しいようです。それでもここまで3ヶ月で
何とかなりました。

しかし不便が無くなると、それ以上の上達は、意識していないと頭打ちに
なります。

ここからは、語学書などで文法などを学び語彙を増やします。問題なのは
日本と同じく外来語の影響をかなり受けていることです。

タガログ語だと思っていた言葉が実は英語だったという事も多く有りま
した。

ですので若い人との会話に不自由しないのに、年配の方の話が分からな
かったりするのは、この為のようです。

日本のように、外来語を短くして別の言葉になることは少ないですが、
発音がだいぶ違ったりはしますので、英語を話す時に混同しないように
注意が必要です。

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では、本題の語学学習の方法です。先ずは、話す練習です。

最近、私はまた英語の再勉強を始めています。先ず最初に徹底的に
自分の発音を見直しました。

教材や勉強法は、自分で考え出した方法ですが、発声方法の根底から
変えました。

ボキャブラリーの数より、全ての発音記号を正確に発声しわける練習を
しました。

その結果、次の「聞く・ヒアリング」の勉強をしなくてよくなりました。
それは、チャンと発音出来ると、練習もしないでヒアリングも出来る
ようになることです。

意味を知らない初めて聞く言葉でも、そのスペルは何となく分かるように
なるからです。

語学勉強の基本は、ここにあります。正確な発声が出来れば、聞く方も
合わせて直ぐに出来る事です。

例えて言えば、楽器を弾きこなせるようになると、他人の演奏がよく理解
出来るようになるのと近いでしょうか。そんな感じです。

後は、ボキャブラリーを増やし、動詞の活用形を覚えればスムースに先に
進めます。

面白いことに、段々と言葉が分かるのではなく、ある日突然、急に人の
話が分かったり話せたりする瞬間が訪れる事です。
(昼寝をしている最中に、外の奥さん方の噂話が急に理解出来たり。。。)

その為の近道は、先ず自分のことや自分の考えをとにかく一方的に話す
事を練習することでしょう。

相手の言っていることが分からなくても、自分の事をとにかく丁寧に
発音して話し通じれば、後は語彙を増やせばいいだけです。

先ず自分が自分の事を話すことによって、その語学力の範囲も相手に知ら
せる事も出来ますし、会話の話題を提供する事にもなります。

受け身の会話では、上達は難しいでしょう。ジョークを覚えたり、場合に
よっては、シモネタも有用なネタになります。

最初から相手の事を聞くのは、失礼な場合もあります。それよりも自分の
考え方を相手に伝えましょう。

その反応で、相手が善人かそうでないかも見極めれば、安全な海外生活の
一助にもなります。

ところで英会話用に作った発音教材とは何かというと、それは、個人差が多い
英語教師の発音に頼るのではなく、音声合成によるネイティブな発音を音程を
変えず低速発声したものを録音し、任意にデジタル再生出来るようにしたもの
です。

勿論内容は、自分の言いたい・訊きたい会話ばかりです。自分にあまり関係
無い会話内容の教材音声を聞き・覚えるより余程有益ですし、実用的です。

同じ会話でも、フォーマルなものからフランクなものまで自由に作れます。
最近同じような会話教材も出始めていますが、ほぼ自作なので大変安価です。

そのうちに一般的な英会話教材になる日もあるでしょうね。早くビジネスに
して置けば良かったのですが、残念です。時代を先取りし過ぎましたね。

以上、何か役立つ話が有ったでしょうか。少しでも参考になれば幸いです。


(続く)
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2013年5月1日水曜日

東南アジア海外生活、長期滞在記。体験談1 滞在動機編

全ブログ記事中 第11話 (経験談)
1 滞在動機 編
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1 滞在動機 編


これからや将来に、海外生活や移住を現在ご検討中の方々などへ、私の
色々な実体験が何かのお役に立てればと思い、このブログ記事を書くこと
に致しました。

フィリピンに有る日本法人の観光会社から、所有するクルーズツアー船の
撮影取材に来てくれないかと依頼が有り、仕事に忙殺されていた私は、
逃げるように特に期限を考えず、片道航空券で出国することにしました。

ビザが無いと片道航空券で入国出来ないので、事前に大使館に出向き
ビジネスビザ申請を致しました。

日本側が入国ビザを厳しくしている対抗上、あちらも短期観光以外は、
意外と審査が厳しい状態でした。

一度断られ、仕方なく大使館内の観光省の出先機関に相談して、観光省の
推薦状を頂き、90日間のビジネスビザを頂きました。

1ヶ月くらいに考えていた私は、その時には足掛け1年も滞在することに
なるとは思ってもいませんでした。

今は、フィリピンの大学などに語学留学する方や年金暮らしをなさる方も
多いですが、当時は、観光客以外は殆ど無く、工場進出などもエドゥサ
革命の数年後の政情不安でしたので、あまり活発ではありませんでした。

クルーズ船は、台風被害の修理がもう少しで終わる所なのだそうで、
それを何故か手伝いつつも、マニラ近郊の観光名所撮影やルソン島の
隣のミンドロ島撮影旅行などをして暫く過ごしました。

しかし滞在中に、バギオ大地震や度重なるクーデター事件も起き、更に
ピナツボ火山の大噴火にも遭遇し、段々と取材どころではなくなりました。

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バギオ大地震は、多くの死傷者を出した地震でしたが、200kmほど離れた
マニラ市内に居た私には、大したことない地震で、日本人的には震度3
くらいかなと思う程でした。

しかし市内は、震度5なみのパニック状態で、この世の終わりのような
顔をしている方もいました。

古い木造住宅の2階のベットに横になっていた私は、チョッと大きい
かなと思いつつも起き上がることもせず、階段を駆け上がってきた
家人の方に笑顔で答える余裕でしたが、窓の外は逃げ惑う人で大騒ぎ
でした。

近くには有りませんでしたが、倒壊した家も有ったそうです。暫くして
テレビニュースでバギオ地域を見ると、いかにも鉄筋が少ない壁の薄い
学校などが、トランプタワーのような壊れ方をしていました。

日本では、学校は避難所の代わりですが、海外の学校は手抜き公共
工事の典型が多いそうで、この地震での死者は、最終的には1621人
にもなったそうです。

クーデター事件は、国軍内の勢力争いなど複雑な政治状況も有りますが、
テレビや写真で見る範囲の大変緊迫した状況はの周りは、意外と普通な
生活が営まれていて、見物客も多く銃弾慣れした市民に驚かされました。

ピナツボ火山の大噴火は、マニラ市内から90kmの近さもあり、一番の
迷惑事件でした。(バギオ大地震が引き金だとも言われています。)

ベットで昼寝をしていた私は、なにやらザラザラとしたシーツの感触で
目覚め、表に出てみると一面の銀世界ならぬ白世界になってました。

最初に私が考えたのは、近郊に有るアメリカのスービック海軍基地で
核兵器でも誤爆発したかなという思いでした。
するとこれは死の灰か??ではもう手遅れだなと考えた次第です。

既に諦めてテレビを見ると、噴火避難を呼びかけるアナウンサーの
絶叫顔のニュースが放送中で、簡単に命を諦めていた私は、何か
とても安堵しました。

でもその被害は、とても甚大で直接降った灰以外にも沢山の火山灰が
川や海に流れ込み、海岸リゾートの海は、観光客も居なくなり営業
出来ない状況です。

海の写真取材に来た私は、何をしに来たのか分からなくなり、さらに
観光客を呼べなくなったクルーズツアー会社は、立ち行かなくなり、
私も金策の片棒をかつがなくては共倒れとなるため、仕方なく代わりに
地方ツアーへ行く日本人客が来る間、留守番などをして過ごしました。

また修理費用が捻出出来なくなったクルーズ船の修理もする為に、私も
出資した上に修理作業も本格的に始めました。

他にも従業員達が遊んでいて水没させた、ジェットスキーの分解修理も
したり、焼き付いたダイビング用のコンプレッサーエンジンも直したり
しました。

そんな訳で心ならずも元をとるために、本職外の修理技術者として、
私の本格的な海外生活が始まったのでした。

(続く)
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